お風呂の話(

世界のお風呂−2
(東アジア・東南アジア編)


世界のお風呂−2(東南アジア・インド・西アジア)

      タイやベトナムではどうだろうか。 というよりお風呂という行為についてはインドシナ半島全体がだいたい同じ様な習慣を持っている。 家庭での水の多目的使用のための水がめ或いは水槽を持てる家では、縦横深さおおよそ1メートル程の水槽に普段から水を貯めてあるのだが、体を洗いたい時にはそのそばで衣服を脱いで裸になり、その水を手桶で汲んで体に掛けて汗を流すというのが最も一般的な庶民のお風呂だ。 勿論その水槽の水を汲んで料理もするのだから、水槽の中に入ったりはしない。日本流にいえば行水と呼ぶのが適切だろう。年長者から順番にそれをするなどというようなことはなく、誰でもしたい時にしたい人がする。とはいえ一日の仕事が終わった夕刻に汗を流すということが多い。 また、昼時のながい休憩時間にも汗を流す人もいる。つまり一日2回の行水ということだ。 亜熱帯地方とはいえ、水をかぶるのは冷たいから手際よくさっと済ませるのがコツともいう。

   インドでもお風呂事情は東南アジアと似たりよったりである。 昔のカースト制度は身分差別だったが、今ではその風合いが違ってきているものの階層差別であることに変わりはない。 日本の何倍もの面積と人口を持つ国の習慣を一まとめにしてしまうのも乱暴な話だが、大多数の人々にとって日本式湯船どころかシャワーすら縁がないというのが実情だ。 最上の階層の人々にとってでもシャワーはともかく湯舟などというものは、まず第一にその習慣がないのだから必要もないし存在もしない。 勿論その最上階層の更に一部の人たちは、いつの世でも同じ様に、王侯貴族のようなものだから何でも有りだがそれらの人々の生活習慣はこのシリーズの対象ではない。 シャワーから出てくるのは色のついた水であり石鹸を使って体を洗うことは出来るが口には入らないように気をつけなければならない。  下のほうの階層の人はその同じ水道水を飲むことが出来るが家にシャワー設備があるような階層の人々はその水をそのまま飲んだりは出来ない。日本人ならば軽く済んでも強烈な腹痛だ。シャワーの下の階層の人々は乾季には必要があるときだけ小さな手桶に水を貯めて体を拭く。 雨季には誰にとってもそんな必要はなく、ドッと来るどしゃ降り雨をつかってシャワー代わりにする。それは貧しい人が貧しいからするのではない。普通の人みんながすることなのである。日本の人が聞くとウッソー!ということになるのだろうが現実である。乾季における水は大変貴重なものなので、インドの人々は限られたお水を何につけ上手に使う。 お風呂に使うなどというもったいないことはしない。 ヒンドゥー教における沐浴というのは何も有名なガンジス川でのものだけではなく、各地において水で体を清め(要するにきれいに洗い)汗臭くなった着衣も洗い、なかには歯磨きもしたりしながら神への祈りを捧げまた感謝する。 体をきれいにし、精神的安らぎも得るという点で全く日本でのお風呂と同じ効用・目的を持つものだろう。

   西アジアというとイスラム圏だ。また同時に、一般的に言って極端に水が少ない地方である。 それもあって、当然に湯舟というやり方のお風呂もないしシャワーもない。  湖や川の近くに住む人々は別にして、水は貴重だ。 それでも神様に礼拝する時には失礼に当たらないようにその貴重な水を使ってでも体を清めなければならない。モスクにはその清浄儀礼のための沐浴場が設けられている。

 

鴇田晴幸
バスプロ(株)社長
浴槽設計家・お風呂研究家

 

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